急がば回れ
「武士(もののふ)の矢橋(やばせ)の舟は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」という和歌を、ご存じの方はおられるだろうか?「急がば回れ」ということわざの、語源とされる和歌である。
矢橋とは、琵琶湖に面する港町。草津の近くで、対岸は大津である。かつてはここから船が出ており、京都に行くには、大津まで船で渡るのが近道であった。しかし、比叡山から吹き下ろす風が強く、航路には危険が伴う。そこで、遠回りにはなるが琵琶湖を南下し、瀬田川に架かる橋を渡った方が、安全で確実と考えられていた。
この歌の背景から考えると、もともと「急がば回れ」とは、急いで京都に行きたいのなら、琵琶湖の南をぐるっと回れ、という意味であったようだ。地図で確認すると、あまりにもそのまま過ぎて、ちょっと笑ってしまう。しかしそんな文字通りの言葉が、なぜことわざになったのであろうか?
急ぐ時は、危険な近道を選ぶよりも、安全な遠回りをした方が、結局は早く目的地に着く。これが「急がば回れ」の一般的な意味である。多くの人が、自分の経験に基づき、確かにそうだと思われるであろう。私も同感である。思い出すのは、ウィスコンシンからの帰り道、シカゴの渋滞を避けるため、ミシガン湖を渡るフェリーに乗ろうとした時のことだ。高波のため便がキャンセルになってしまい、結局時間がかかってしまった。やれやれである。
しかし「回れ」とは、このような物理的な遠回りのことだけではない。物事の進め方としての遠回りも含まれる。例えば仕事では、一見近道に見えるやり方に飛びついて、痛い思いをすることがある。たとえ遠回りに思えても、リスクを回避し、地道に進めた方が、より大きな成果が得られたという経験は、かなりの方がお持ちではなかろうか。
物事の進め方を心の持ちように敷衍すれば、「急がば回れ」が伝えていることは、何をするにも焦りは禁物、という教訓と言える。人生、焦るとあまりいいことはない。早く早くと焦るほど、ミスをしてしまう。ストレスが溜まる。機嫌が悪くなる。周りとの関係も悪化する。英語にHaste makes waste.という表現があるが、まさにそのような状況に陥ってしまう。
そんな時、「急がば回れだよ」と誰かに言われたら、どんな気持ちになるだろう?ちょっと想像していただきたい。焦っていた自分にはっと気づき、深呼吸。落ち着きを取り戻し、一歩一歩を大切にしよう、と地に足がつく。私の場合はこんなところだが、さて皆様は?
焦りは禁物という教訓は、裏を返せば、気持ちに余裕を持てということである。これ、言うは易しで、なかなか難しい。しかしだからこそ、「急がば回れ」と自分に言ってみてはどうだろう。緊張が緩み、少し気持ちに余裕ができないか。このことわざには、こんな不思議な力があるようだ。
そしてもう一つ、「急がば回れ」には、目的地を決めたらそこまでの過程を楽しめ、という大切な教訓が含まれているように思う。過程そのものを楽しむことで、想像以上に大きなことが達成できる、という先人の知恵である。実際何か大きなことを達成する人には、そこまでの一歩一歩を楽しんでいる人が多い。皆様の周りにも、きっとそんな人がいるのではないだろうか。
過程を楽しむことの大切さを伝える成句は、英語にもある。例えば、Stop and smell the roses.という詩的な表現。思わずはっとさせられる。Enjoy the journey, not just the destination.という言い回し。目的地だけではなく、旅、すなわち過程そのものを楽しめ、という意味だ。そして、Life is a journey, not a destination.という格言。アメリカの思想家、Ralph Waldo Emersonの言葉として有名だが、人生とはその過程を楽しむ旅である、ということであろう。
こう考えてくると、「急がば回れ」には、何と深い、普遍的な知恵が込められていることか。こんなことわざを残してくれた先人に感謝したい。そして私も日々使って、自分にとっての目的地に向かう一歩一歩を、存分に楽しんでいきたいと思う。

